5人の生い立ちと年齢 / PARAMUSHIR考察
※ネタバレを含んでいます※
4/6 追記、訂正しました。
5/8 wowowで細かいセリフを確認。追記、訂正しました。
9/26 Blu-ray/DVD初回特典で公式年齢を確認、追記しました。
PARAMUSHIRに出てくる5人の生い立ちから、徴兵や召集などを考慮して年齢を考察してみました。長々書いた割には年齢絞れてません!が、少しでもみなさんの考察の助けになれば...!
専門家ではないので、間違い等あると思います。ツッコミ歓迎です…
以下のことを前提として考えていきます。
- ジャンジャンジャンプのリーダーの発言から、それぞれ20、30代の設定。*1
- 最低年齢〜最高年齢を出すため、学年や徴集(徴兵検査→軍務)、召集(赤紙→軍務)、志願については“最速で”考えます。
- 兵役は基本2年、終わったと思ったらすぐに召集される事もあったようです。
徴兵制については論文*2と、wiki*3*4などを参考にしました。
主な部分を以下に引用します。全て満年齢です。
第一に、日本男子は17歳から40歳(1943年以降は45歳)まで兵役につかなけれ ばならない。第二に、20歳時(1944*5年以降は 19歳時)に徴兵検査がある。
戦前、徴兵とは別に、志願兵の制度があった。 これは 14 歳から 21 歳の若者が対象であり、自ら の意志で軍隊に入隊を希望する者を対象とした制 度であった。
20歳に達した男子は誰もが徴兵検査を受けることが義務付けられた。4月〜5月頃に通知が届き、地域の集会所や小学校で検査が行われた。検査に合格した者は翌年の1月10日に各連隊に入営する事となる。
※太平洋戦争後期は、人員を確保するため誕生日がきたらすぐに徴集を受ける事になった人もいたようです。
4/6追記:引用中の誤りを脚注で訂正しました。また、1944年に17歳から召集されるようになった件については、田中二等兵の項に追記しています。
考察は大体の階級順にしてみました。(矢野くんの階級も知りたい...!)
ちなみに階級は、〜少尉>准尉>曹長>軍曹>伍長>兵長>上等兵>一等兵>二等兵です。
以上踏まえてどうぞ!
‖ 目 次 ‖
小宮勝四郎 少尉
言葉遣い:
- 5人には敬語を使用しない。
生い立ち等に関する発言:
- 生まれた地域は不明。
- 士官学校卒。
- 父親、小宮勝郎は日露戦争の英雄、バルチック艦隊と戦った人物。
- 四男。上の兄は3人とも海軍。自分だけ陸軍。
- お見合いの妻との間に、大きくなって口答えする子供がいる。
- モダン・タイムスを太平洋戦争の前に札幌の映画館で見た。
主な出来事の年齢の推測:
13歳 尋常小学校卒業
14歳 旧制中学校or陸軍幼年学校
16歳 陸軍士官学校
20歳 卒業、数ヶ月後には少尉になる
(1945卒業ならなら在学期間が短縮されたため19歳)
会話から逆算出来る出来事:
1938 モダン・タイムス公開。
1945 子供が口だけは一人前になっている。
以上から、最短の1945年に士官学校を卒業→占守島だと19歳。リーダーの“20代、30代の役”、という言葉を優先して最低年齢を考えます。
また、最高年齢の手がかりもリーダー発言しかありません。
しかし、小宮さんの階級である少尉は、士官学校卒業後すぐに任官し、遅くとも24歳ごろには中尉に昇進するのが一般的だったようです。例外はありますが、家柄からストレートに近いと仮定し、推定年齢も出しました。(子供の年齢は置いておきます...)
- 最低年齢 20歳(1925生まれ)
- 最高年齢 39歳(1906生まれ)
- 推定年齢 24歳(1921生まれ)
- 推定年齢 22歳(1923生まれ)
4/6追記:士官の年齢と階級について。占守島の軍使として有名な長島厚大尉を例に挙げると、1921年生まれでこの戦いの時点で既に大尉となっています。また、陸軍士官学校卒業生の終戦時の階級を見ると、1944年に卒業した方はすでに中尉になっていました。少尉という階級の方がいたのは1945年の卒業生だけで、生まれは1923~1926年の方達でした。*6それに伴い推定年齢を変更しました。
メモ: 父親について。バルチック艦隊を撃破した英雄といえば東郷平八郎。その孫の東郷良一が1921生まれで、1944年、少尉の時に戦没。ただ、孫のため東郷平八郎との年の差は73歳。他にもバルチック艦隊を撃破した人の周辺は要検証。
メモ: 当時のプロ野球について。日本最初期のプロ野球は、1920、1921に創設される2つの団体ですが、2年後にはどちらも解散。1934に今の巨人が創設されます。また、1936には日本初のプロ野球リーグが設立。ちょうどプロ野球が始まって間もない頃に夢を持ったようです。
水島哲 軍曹
言葉遣い:
- 小宮に対して敬語。
生い立ち等に関する発言:
- 函館生まれ、妻と娘が函館にいる。
- 戦車第11連隊第3中隊所属
- 満州のノモンハン事件でお墓を掘る
- 9歳の娘がいる。
- この10年間戦場にいる。
- 占守島には3年。
- 尋常小学校卒→すぐ五島軒見習い→結婚、子供が生まれるぞと喜ぶ→すぐに召集→皿洗いから助手に→すぐに召集で満州→3度目の召集で占守島。
- 五島軒の見習いは一人前になるのに10年かかる
- モダン・タイムスを知ってる。
主な出来事の年齢の推測:
13歳 尋常小学校卒業
14歳〜 五島軒で見習い
20歳 徴兵検査
21歳以降 子供が生まれるぞと喜んで、すぐの召集
会話から逆算出来る出来事:
1935~6 徴兵または召集→作中では召集と明言
1936 娘誕生
1937~8 函館に一度帰る。見習いから助手に。
1938 モダン・タイムス公開。
1942 召集。占守島の戦車第11連隊配属。
1945 娘に3年は会ってない。
以上から、最短だと1936年に20歳の徴兵検査後の召集。
見習いから助手になる前に一度目の召集を経験しているので、最長の見習い10年目だったとすると24歳。この10年戦場にいて、娘は今9歳なので…
- 最低年齢 29歳(1916生まれ)
- 最高年齢 34歳(1911生まれ)
- 推定年齢 30歳(1915生まれ)
4/6追記:水島さんの「この10年間戦場だ」という言葉を元に、1935年前後を調べると、ほとんど軍事的な動きはない年だったことがわかります。徴兵検査を受けた人の中で21%の人だけが軍務に就くという状態*7で、この年に召集された可能性はかなり低いです。ここから、1935年に20歳で徴兵されたと仮定し推定年齢を出しました。
5/5追記:作中で召集と明言していたので訂正。
※最高年齢は見習い期間がきっちり10年だと仮定した場合です。
※水島さん、今回以外の兵役が両方最短の2年だったとしても、9歳の娘と2年程度しか一緒に暮らせてません(;;)
桜庭仁平 上等兵
言葉遣い:
-
基本的には誰にも敬語を使用しない。「...本当です」
生い立ち等に関する発言:
-
夕張生まれ。炭鉱夫で終わるのが嫌で東京に。
-
叔父を頼って浅草の東京電気館で映写技師。最初は見習いだった。
-
モダン・タイムスを見た。
-
神谷バーで妻と知り合う。
-
娘は女優に、年下の息子は映写技師になるという夢が語れる。
-
徴兵検査で醤油を飲むが結局兵役に。
-
ガダルカナルを経験
主な出来事の年齢の推測:
20歳 徴兵検査
21歳以降 札幌管区で召集
会話から逆算出来る出来事:
1938 モダン・タイムス公開
1942 8月ガダルカナルへ
1945 3月10日 東京大空襲
ガダルカナルの1942に徴集とするのが最低年齢。娘、息子の発言からもう少し上だと思われますが、最高年齢の手がかりはリーダー発言の“20代、30代”、しかありません。
-
最低年齢 23歳(1922生まれ)
-
最高年齢 39歳(1906生まれ)
※北海道の部隊で、ガダルカナルに行った歩兵第28連隊はガダルカナルで壊滅しています。2500名中140名のみが帰還。*9
矢野正三 整備兵
言葉遣い:
- 同じ隊の2人の整備兵とは対等に会話。その2人と田中・山下以外は敬語を使用。(桜庭に対しての敬語は年齢や軍歴も関係してくる可能性有り。)
生い立ち等に関する発言:
会話から逆算出来る出来事:
19?? 徴集、召集または志願。
19?? 満州で匪賊との戦い
1942 占守島に配属
1945 山下が消えない
占守島に3年いたとすると、1941より前に満州を経験。(ノモンハン事件を語った水島さんに対し「激戦だったというあの場所に?」というような驚きだったため、1939に満州の別の場所にいた可能性もある。)
一番若くなる志願兵だとしても、1939年に14歳で少年戦車学校入学、1941年に16歳での卒業。*10
桜庭さんと同じく最高年齢の手がかりはリーダー発言しかありません。
- 最低年齢 20歳(1925生まれ)
- 最高年齢 39歳(1906生まれ)
※4/6追記:戦車兵はもともと関係職についていたか、戦車学校等を出ていないと配属されなかったようです。
メモ:戦車学校について。ノモンハン事件後の満州に、戦車第11連隊の池田連隊長が教官を務めていた戦車学校が設立します。*12
田中誠 二等兵
言葉遣い:
- 全員に対して敬語。
生い立ち等に関する発言:
- 東京の孤児院を脱走
- 浅草の映画館を知ってる(1911開業のロキシー、1913開業の東京倶楽部)
- 上野でくず鉄屋→日暮里でだんご屋→浅草でテキ屋の手伝い→怖い人に睨まれて北に逃げる→函館で五島軒の前を通る→夕張で炭鉱夫(すぐクビに)→旭川で駅前の菓子工場手伝い→小樽で食い逃げしてカフェー桟橋のサチコに匿われる
- 孤児院に連絡して戸籍を入手する
- サチコと結婚する
- すぐに赤紙が届く
- 生まれて半月の息子がいて、写真が届いている。
- 独立歩兵282大隊第3中隊所属
会話から逆算出来る出来事:
1944 秋以降に赤紙が届く(生まれて半月の赤ちゃん=数ヶ月前までは軍務についていない。)
田中にはもともと戸籍がなかったという事で、何歳で戸籍を入手したのかによって年齢が大きく変わります。(多分本人も正確にはわからないんじゃ...?)
また、赤紙が届いている所から、徴兵検査からの徴収ではありません。検査後に一旦補充兵となってから召集された、というルートになります。それでも徴兵検査後にすぐ赤紙が来ていたとすると19歳。しかし、こちらもリーダーの“20代、30代の役”、という言葉を優先して最低年齢を出しました。また、最高年齢の手がかりもリーダー発言のみです。...つまり全く絞れてない!
- 最低年齢 20歳(1925生まれ)
- 最高年齢 39歳(1906生まれ)
※4/6追記:1943年末に徴兵検査の年齢が19歳に引き下げられたあと、1944年には召集可能な年齢が17歳にまで引き下げられました。(下記引用参照)この改正は、徴兵検査を受ける前でも国民兵役(簡単にいえば国民の全ての男性)の17歳から召集ができるというものでした。
しかし、この法令で規定された召集は「防衛召集」で、自分の住む地域が爆撃された際など、必要な時だけ召集されるというものです。船に乗って戦地に赴いている田中くんは、この召集にはあたりません。よって17〜18歳の時に赤紙をもらった、という可能性はありません。
同年(1944年)10月制定、11月施行の陸軍防衛召集規則改正(陸軍省令第46号)では防衛召集の対象が在郷軍人および国民兵役にある17歳以上45歳までの大部分の者にまで拡大された。
防衛召集は(中略)戦時または事変に際して防衛上必要ある場合に在郷軍人および国民兵役の下士官・兵(予備役や補充兵役を終えた者)を召集することと規定された。
※当時は戸籍がないと配給票ももらえず、食料が手に入らなかったようです。田中くん...(;;)
まとめ
以上、年齢の考察でした。以下にまとめると...
※9/26追記 : Blu-ray/DVD初回特典で公式設定を確認
- 小宮 28歳 20〜39歳(22歳)
- 水島 30歳 29〜34歳(30歳)
- 桜庭 30歳 23〜39歳
- 矢野 26歳 20〜39歳
- 田中 20歳 20〜39歳
となります。うん、水島さんしか絞れてない...。ただ、40近い兵士は老兵と呼ばれるような扱いなので、今回の役は本人たちよりかなり若いと予想できます。あとはそれぞれの会話からみなさん感じ取ってください〜!(突然の丸投げ)
今後も何かわかり次第修正、追記する予定です。
最後になりましたがこちらもたくさんのフォロワーさんの記憶に助けられて、ここまで考察することができました。ありがとうございます!
*1:2018/2/4のジャンジャンジャンプ内で明言
*5:4/6追記:正確には1943年の12月末
*6:陸軍士官学校卒業生一覧 (日本) - Wikipedia